2014/05/14

母の日によせて

プライベートで僕と仲良くしてくださってる方や、以前から僕の書く文章を読んで下さってる方(ありがとうございます)はご存知かもしれませんが、僕には親がいません。

個人情報的な事がだだ漏れなのもどうかと思うし(ネットしゃかいこわい!誰かが!俺を!監視!して!い1(てきとう)、ついこの間やってしまったばかりで、もしかしたら親族が読んでるかもしれないので、はしょったりぼかしたりしますが、元々、豊かではない母子家庭で育ったんですね。
それで、うちの母親ですが、少し風変わりな人ではあったけど、僕はすごく尊敬していて大好きだったのですが、やっぱり、ほら、あるじゃないですか、男児の、母親と距離を置きたがる的なやーつ。
ガキっぽいなとは思うけど、実際ガキだったしね。

というわけで、心から感謝の言葉をかける瞬間も、親孝行をする間もなく、死んでしまいます。実にあっけなく。

そして、それを見た僕は、過度の過呼吸になって、手足が膨れてパンパンになり、体が全く動かせなくなって、下手すりゃ死ぬ一歩手前まで行ってしまい、「人間って、こんなにあっさり死ぬんだ」と悟った瞬間に、自分がショック死しかけるという、体をはったデスギャグを試す羽目に。
嫌すぎるし雑すぎる!

その後は、周囲には悟られないよう気を配りましたが、正直、精神的に相当耗弱しました。
一人になると、焦点が定まらなくなって、自然と黒目がぐるぐる動くのが自分でもわかりました。

でも、僕は勉強が好きだったし、むしろ勉強しかできないといっても過言ではなかったので、一生懸命勉強を続けて、地元の国立大学の法学部に行く事にしました。

法学部を選んだ理由は、恥ずかしくて今までほとんど人に話した事がないのですが、もう恥ずかしがる年齢でもないし、実際に役立ったとも思っているので正直に書きますけど、「人が少しでも幸せになるための歴史や方法や仕組みを考えられる場所」だったからです。

今考えると、完全に庄司薫の影響下にあったのですが(でも、ほら、思春期やったし)、それでも、その時に真剣に考えた法哲学や政治哲学、法社会学の諸問題は、僕が事物を測定する際のベースになっているのは間違いないので、学んでよかったと胸を張って言えます。

もちろん、状況が状況ですので、一日2~3時間睡眠で、講義に出て働いて勉強して働いてサークル活動という生活を2年も続けるうちに、喘息、アトピー性皮膚炎といったアレルギー体質になったり、体調を崩す時もありましたが、幸運にも、人一倍体力があったのと(家電やPCの配達をしていました)、学問が好きなのと、周囲と比べ気が強かった事もあり、なんとか卒業できました。
似たような境遇の友人は、体調を崩したり、金銭的に苦しくなったり、コミュニケーションに苦労したりといろいろあったので、今考えると、当時の僕は本当に運がよかったんだと思います。

そして、その後の仕事については、あまりにもいろいろと楽しかった事や、辛かった事がありすぎて、このタイミングでは書ききれませんし、心情的に、まだ総括しきれていないことでもあるので、また筆を分けさせていただくことにします。

ただ、自己憐憫にならないように注意しながら、できるだけ客観的に書くと、突如として、自分の力だけでは抗えない巨大な波のような物に呑み込まれてしまう瞬間が訪れることもあるんだなということが、今の僕には理解できます。

あるタイミングで、完全に潮目が変わるとか。
(少しだけですが)貯金もあるし、家賃も毎月滞納せずに払っているのに、出て行かざるを得ない状況に陥りかけたりとか。

ほんと、生きてりゃいろいろある。

人間は、上手くいっている時には自分の実力だと過信し、上手くいかない時は運が悪かっただけだという風に考えがちなバイアスが働くものです。
バイアス、仕事しすぎ!


毎年、母の日になると胸を張って「生んでくれて、育ててくれてありがとう」と心の中で母親に感謝していたのですが、今現在の境遇的には、なんとか会社員として働けてはいても、胸を張って母親の墓前に報告できるような状況ではありません。
借金をせずに暮らせている程度です。
ささやかでもいいので、墓前に錦を飾りたいとの想いで僕なりに一生懸命やってきたのですが……。

いい事も悪い事も含めての人生だとはいえ、考えがまとまるまで、まだ少し時間がかかりそうな気配です。
せめて、後悔しない人生を選べたらいいなと思っています。
そのためには、友人を大切にしたいし、増やしていきたいなとも思っています(皆さん、どんどんSkypeに電話してくれていいねんで)。
なんとかなりたい!


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